鼻猫亭

毎日のこととかぼんやり考えたことなど

自転車屋から帰る

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息子の誕生日に自転車を買いに行った。

自宅の近所にも自転車屋があるんだけど、品揃えが良いので、新しく買う時には、数キロ離れたショッピングセンターに入ってる自転車屋を利用している。今日も、クルマを走らせて買いに行った。

息子もいつの間にか大きくなった。もう子供用じゃない。
自転車屋からも、「十分大人向けで通用する体格ですよ。」と言われて、息子の身体には少し大きめの、大人向けには少し小さめの、私にとっては少しお値段お手ごろ目の自転車を買った。青くてピカピカした、きれいな自転車だ。

そのまま乗って帰りますか?と言うのに「もちろん」と答える。子供が走って帰るにはちょっと遠い距離だけど、クルマに乗せて帰るつもりである。こういう時のための8人乗りファミリーカーである。

ところで、コンパクトカーのCMで自転車乗せるやつがあったと思う。
でっかく乗ろうという感じのやつ。
車体はコンパクトだけど、中は広々と使えるってやつ。
自転車を積んでお出かけしようと言わんばかりのやつ。

コンパクトカーに出来て、ファミリーカーに出来ないはずがないと思うのは我ながら当然の帰結だ。

CMを真に受けてはならない。

積めないのだ。
多分、二列目のシートを倒せば積めるんだけど、私の家族は赤子を入れて5人である。きっと、東南アジアの乗合バス並みに、助手席に子供らをギチギチに詰めれば自転車を積める。そういうわけにはいかない。途方に暮れる。

「あのさあ。僕、乗って帰れると思うけど?」

息子が言いだした。

なるほど、息子も成長した。走って帰れない距離ではない。
しかし、ショッピングセンターの周辺は交通量が多くてどうも危ない。普段からぼんやりした息子のことだから、ちゃんと道を覚えてるかどうかも危うい。

「それはちょっと心配。私が乗って帰ろうか。」
妻が言う。しかし息子は渋い顔だ。
そりゃあ、買ってもらったばかりの自転車の一番乗りを他人に譲るわけにいかないだろう。

「仕方ない。僕が付き添って走って帰るよ。」
息子が自転車で帰り、私が徒歩で並走するということになった。

少し大きめの新しい自転車は、背伸びをしたい年頃の息子にはちょうど良くて、風を切って走る姿はいかにも気持ち良さそうだ。

その隣を私がのそのそと走る。
私は小さい頃から長距離走が大嫌いである。ウォーキングならばいくらでも歩ける自信があるが、ランニングは全くダメなのだ。なんせ、小学校のマラソン大会では、最初の一歩から歩いていたくらいである。毎朝皇居の周りをジョギングしてる上司を変人を見る目で眺めているのが私である。勘弁してほしい。

私は一分走り二分歩く体で歩を進める。その横を息子が颯爽と走り、追い抜き、私を待つ。私は息を切らせながらそれに追いつく。息子が先に行く。私が追いかける。

こうなってくると、どちらが付き添いか分からない。

残り1キロのところで、ついに限界が来た。

「はあ…はあ。父ちゃんはもうだめだ…。お前は…お前は先に行ってくれ……。」

「うん。分かった。そうするー。」

息子は何のためらいもなく、待っていましたと言わんばかりの態度で、軽やかに、自転車を走らせる。

私は、どんどん遠くなる息子の背中を眺めながら、こりゃ、晩ご飯に遅れるなあ、などとぼんやり考えるのだった。

コロッケそばを考える

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コロッケそばとの付き合いには長年手を焼いてきた。
立ち食いそばのメニューによくある、暖かい汁そばの上にコロッケが浮いてるやつだ。
知らない人は天ぷらそばやキツネそばの、天ぷらや油揚げの代わりに、コロッケが浮いてる姿を想像してみて欲しい。もしかすると、何かの間違いだと思うかもしれない。私がそうだった。だが、思い浮かべた姿が正解だ。コロッケが浮いてるのだ。

最初は、特定の店の面白メニューだと思っていた。しかし、少なくとも関東の立ち食いそばでは、それなりにメジャーな地位を占めているようで、割にどの店でも置いてある。

私はしばらく、コロッケそばを見た目で敬遠していた。つまりは食わず嫌いである。
しかし、時折、チラホラと、「コロッケそばが好きだ」という声が耳に聞こえてくる。まさか、と思うが少し気になる。

ある日、私は思い切ってコロッケそばをオーダーしてみた。「ままよ」という気持ちで、発券機のコロッケそば360円のボタンを押した。
出てきたそばには、果たしてコロッケが浮いていた。
まずはこわごわとコロッケをひとかじりしてみる。

暖かいそばのつゆに浸ってしまったコロッケの味がした。

「つゆに浸した」というより、「うっかり浸してしまった」味である。もっと言えばコロッケをつかみ損ねて、そばつゆの中に落とした味である。そして、あまりに予想通りの味である。

私は、コロッケにはソースだよな、と釈然としたような釈然としないような気持ちで、それきりコロッケそばのことは忘れるようにしたのである。


それが最近、コロッケそばを集中的に食べていた。

きっかけはまんが、「メシバナ刑事タチバナ」の一編に、コロッケそばの食べ方が語られてたことにある。

曰く、「まずはコロッケに箸を入れ、二つに割って一口食べる」「食事の終わりの方まで手をつけずとっておく」「汁を十分に吸い『ふがっ』とした状態を食べる」ということのようだ。

コロッケを割り、あえてもろもろにして食べる。それは盲点だった。
私はむしろ、形を崩さないように食べていたのだ。なんたることか、正解は逆だったのだ。私は自らの不明を恥じた。

それから、私はさっそく、行きつけの立ち食いそば屋で実践してみた。
まずは箸でコロッケを割り、そのまま一口。
つゆに落としてしまった冷たいコロッケの味がする。
そして、残りの部分をつゆに浸してそばを食べるのに専念。きっとその間に、コロッケはつゆを吸い、魅惑のモロモロ状態へと変貌しているはずなのだ。

そして、そばを八割がた食べ終わった時点でおもむろにコロッケを引き上げる。
なるほど、「ふがっ」とした状態になって、いない。

コロッケはやはり冷たく、堅いままだった。そして、つゆに落としてしまった味がした。

こんなはずはない。私は躍起になって、あちこちのそば屋でコロッケそばを確かめてみた。
しかし、私が食べる速度が速いのか、最近のコロッケは堅くできてるのか、なかなか「ふがっ」にはならない。

そして月日は流れ、流れ流れて辿り着いた京成某駅のホームのせまい立ち食いそば屋。そこのそばは、立ち食いそばの伝統に忠実な「うどん粉のつなぎにそば粉を少し使った」風情の、腰のないそばである。大振りなコロッケも、やわらかい造形で、箸を入れるとジャガイモが数片、ほろりとほどける。

これは期待できる…そう思いながら、そばを食べ、八割がた食べたところでおもむろに引き上げる。

果たして、コロッケはつゆを吸ってモロモロと形を崩しながら姿を現した。まさに理想的な「ふがっ」である。私は期待に胸を高鳴らせ、それを口の中に導いた。

やっぱりつゆに落としてしまったコロッケの味がした。

この長い戦いで得た結論は、コロッケそばはどうやっても、つゆに落としてしまったコロッケの味がするということだ。それ以上でも、それ以下でもない。

しかし、この長い戦いが終わったにもかかわらず、私の指は何故か券売機でコロッケそばをチョイスしてしまうのだ。

決してうまくないのに。

決してうまくないのに……。

仁右衛門島に行く

外房の南より、鴨川シーワールドにほど近いところに仁右衛門島という島がある。
島といっても、本土とは浅瀬で隔てられてるだけで、200メートルしか離れていない。ほとんど岬に続く道がたまたま水没したといった風情だ。
この仁右衛門島、千葉県指定の名勝ということになってるわけだけど、個人所有の島らしい。島にたった一軒だけで住んでる島の主が、代々「仁右衛門」を名乗っているので、仁右衛門島と名前がついたらしい。

用事がない日曜日、そういや、しばらく家族で出かけてないね、ということになって、南房まで足を伸ばしてみた。

まだ春には早い房総半島だけど、すっきりと晴れ渡り、寒さも緩んで気持ちが良い。内房からのんびりとした山道を越えて、外房まで行けば、青緑の凪いだ海が出迎えてくれた。

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島へは、渡船場から小舟で向かう。
日に焼けた二人の船頭さんの手漕ぎの船だ。船頭さんは、巧みに櫂を操りながらゆっくりと船を進めてゆく。

「今日も来たの?ご苦労さん」
船頭さんが防波堤の釣り人に声をかける。このあたりの常連さんだろうか。そんな光景を見ながら、ほんの数分で舟は島に着いた。



島の入り口には、売店と食堂があって、そこが入場口のような役割を果たしている。そこで渡船料を支払うのだけど、雰囲気が緩くて、つい見過ごしてしまいそうだ。
売店には、もう数十年は置いてあるだろう流木を使った置物なんかが売ってある。店員さんはいない。食堂は現在休業中、ひょっとすると、シーズンオフなのかもしれない。
入口のおじさんは、「夏になるとここはダイビングのメッカになるんだよ」と教えてくれた。

島は一時間もあれば一周できる大きさだ。ちなみに一応、これでも千葉県最大の島らしい。
高台の上に、仁右衛門さんの家があって、建物の一部と裏庭を見せてくれる。建物は嘉永年間に改装されたという説明があって、とても古い。
古いけど、ぐるっと回ったところには、アルミサッシの引き戸があったりして、今でも仁右衛門さんが住んでるんじゃないかという風情がある。
裏庭には、小さな小屋があってお婆さんが出迎えてくれた。間違って仁右衛門さんの個人スペースに入らないよう、見張りのお仕事をしてるのかもしれない。

「仁右衛門さんはさ、どんなすごいことをしたの?」
娘がふと聞いてきた。
「島を持ってるだけじゃないの?」
よく知らない。
「それだけ?本当にそれだけ?島の名前になってるんだよ?」
「それだけじゃ足りんか?一人で島を持ってるんだぞ。すごいじゃん」
娘は納得がいかなそうに「ふうん。」と呟いた。

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島から戻ると、お昼をだいぶ回ったところだったので、目の前にある喫茶店に入った。
「うちは美味しいよ。テレビも何度も来てるのよ。」
喫茶店のお姉さんが愛想良く笑う。店員さんはみんな明るくて居心地が良い。

「あのさ。うちで夏みかんを貰ったんだけど、余っちゃったので持って帰ってくれない?」
帰り際、お姉さんがそういいながら、なぜか夏みかんを持たせてくれた。黄色い夏みかんみたいにぽかぽかと暖かい、冬の一日でした。

調剤薬局は病名を聞かないで欲しいという話

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二日ほど前から喉が痛くて、耳も少し痛く、ついでに以前から鼻も詰まるので、こりゃ耳鼻科事案だなー、と思って行ってきた。

喉と耳と鼻と、顔面にある穴という穴をこじ開けられ、光をあてられ、覗かれて、「喉は扁桃炎とナントカ炎、鼻はアレルギーの気配があって、耳は外耳炎になってますねー。」とテキパキ言われて、お決まりのネブライザーをして、処方箋を出されて終わり。

処方箋を近所の調剤薬局に持ち込んで、暫く待って、薬剤師さんが薬を持ってきた。

薬剤師さんは処方箋と僕の顔を見比べながら一言、
「ええと……風邪をひかれましたか?」

以前からこの質問がとても苦手なのだ。

まず、この質問にキチンと答えると「扁桃炎と外耳炎、鼻炎はおそらくアレルギー性で、それからもうひとつ、あまり聞き取れなかった喉の症状があります」となる。
率直にいって、煩わしい。正確に答えようとすると、とんでもないことになる。

次に、この質問は何だか僕を不安にさせる。
相手はプロの薬剤師だ。
それが、僕の顔と処方箋を見比べながら、「風邪ですか?」と聞く。
何となく、「風邪にしては薬の量が多いな」「風邪のわりに元気そうだな」なんて、いぶかしがってるんじゃないかと気掛かりになる。
もしかすると、「あなたの症状にこの薬は合ってないので、もう一度出し直してもらってください」なんて言われるんじゃないかとすら考える。
最後のはさすがに妄想だろうけど。

そして何より、薬局内の他のお客さんに、病名を知られるのが嫌だ。
別に隠したいようなものでもないんだけど、ご近所さんに「あそこのオトーサンは、扁桃炎と外耳炎とアレルギー性鼻炎に、何かよくわからない症状まである」なんて知られる必要もない。
病名なんてものはプライバシーの最たるものだと思うんだけど、それを窓口で問い質すなんて、無頓着に過ぎやしないか、なんて思う。

できれば、調剤薬局は、窓口で「処方箋からの〜病名当てクイズ!」なんてやってないで、薬の説明と服用時の注意程度に止めておいてほしい、と思うのだ。

ちなみに、「風邪ですか」の質問には「まあそんなもんです」と答えておきました。まあ、あながち間違ってないしね。



※追記
薬剤師さんが病名を聞くのは、過誤の防止やその他ちゃんとした理由があるようです。
ただこの辺り、非常に煩わしいので、窓口で説明しなくてすむシステムができないかなー、なんて思ったり。

泥沼つけ麺と謎の肉

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お昼ご飯どき、何を食べようかと思ってフラフラしてたところに、何となく見かけたつけ麺屋にふらっと入ってしまった。
特にラーメンやつけ麺を食べたい気分でもなかったし、それどころか、重たいものは避けたいなと思ってたくらいなので、自分でも何で入ったのか分からないんだけど、とにかくつけ麺屋に入ってしまった。

入ってしまったからには注文せねばならない。面倒なので一番のお勧めらしい「辛口つけ麺」を頼む。メニューを見ると魚粉系のスープのお店のようだ。

「麺の量は…大中小ありますけど…」

気だるそうな店員さんに言われてメニューを見ると、同じ値段で麺の量が選べる系の店のようだ。
面倒なので何も考えず「中」を選ぶ。

「辛さは…三段階ありますけど…」

なかなか選択肢から解放してくれない系の店でもある。

「え、と。じゃ2で」

ここまで無難、中庸、守りの路線を貫く僕。

注文を終えて、店内を見渡してみる。

カウンターがあって、厨房のなかがよく見渡せる。
いかにも今時のラーメン屋らしく、店員さんはみんな、黒いTシャツの腰に前掛けを締め、頭にタオルを締めている。威勢のいい卸売市場スタイルだ。

店員さんは5人。
一人は大きな鍋で麺を茹でている。暑さで疲れてるのが目に見える。
一人はお玉で、スープを混ぜては引き上げ、混ぜては引き上げしてる。あまり行動に意味がない。
一人は死んだような目で、何かの塊をひたすら切っている。何となくチャーシューらしい何かだと分かるけど、切り屑にまみれてなんだかよく分からなくなってる。その何やらな塊に、ロボットのように包丁を入れている。怖い。
一人は、流し台の三角コーナーから生ゴミを拾い集めてゴミ箱に捨ててる。汚ない。かなり嫌だ。
そしてもう一人は、僕にいくつもの選択を迫ったホールのお姉さんだ。気だるそうだ。

全体的に活気に乏しい。何だか陰鬱でのっそりもったりしている。
卸売市場スタイルからも「威勢」は伝わってこず、ひたすら労働の倦怠感ばかりが伝わってくる。「収容所」「タコ部屋」「強制労働」といった言葉が思い浮かぶ。

見てると三角コーナーの人が、さっきゴミを捨てた手で、タッパーからピンク色の水に浸された全く正体の分からない物体を取り出している。
「あれが僕のつけ麺とは無関係な何かでありますように」
割と真剣に祈る。

そのうち、暑そうに麺を茹でてた人が、麺を引き上げ、無造作に掴み、丼にバサっといれる。スープを無意味に上げ下げしてた人が、奥の方でちょこちょこと動いてスープを作る。

「お待たせしました」

出てきたスープには、鰹の粉と唐辛子が山のように盛られている。そいつらは海底から隆起したようにスープの表面を覆っている。魚粉が唐辛子粉の間に沈み込んでいて、何だか太平洋プレートの境界線みたくなっている。

食べてみる。
意外にも割と食べられる。
食べられるが、食べる側から魚粉と唐辛子が大量にスープに雪崩れ込み、攪拌される。
あっという間にスープが泥のようになる。
頭のなかにミキサー車のビジュアルがチラつく。

泥沼の中から、塊が発掘される。
塊の人が、死んだような目でひたすら黙々と切っていた例の塊だ。食べてみると果たしてチャーシューだった。

そのうち唐辛子がスープに混ざりだす。
辛い。
この唐辛子はスープに馴染もうとせず、旨味に貢献しようとせず、純粋な辛さだけを食事のシーンに提供していた。なにやら冷たい汗が吹き出てきた。

そこから数分間、僕は泥の中に機械的に麺を突っ込み、機械的に引き上げ、機械的に口元に持ってゆく作業を繰り返した。

まあ、この店に言いたいことはいろいろあるけど、取り敢えず、オープンキッチンはやめた方がいいんじゃないかな?

鉄道博物館に行く


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大宮の鉄道博物館に行ってみた。
前身となる秋葉原交通博物館には何度か足を運んだことがあって、蒸気機関車0系新幹線のお顔がお迎えしてくれる入口とか、なんだか古めかしい建物とか、びっくりするほどレトロな食堂とかが何だか好きだったし、閉館するときにはもっと足を運べば良かったな、と思ったくらいなので、後継施設の鉄道博物館にもいつか行こう行こうと思ってたんだけど、何しろ僕の住んでる千葉からは電車で二時間コースだし、遠くて足が向かなかった。
開館してから七年目にして漸く足が向いた。交通博物館の閉館の時には、特別公開の万世橋駅をあどけない顔で眺めてた息子も、すっかり図体のデカいお兄ちゃんだ。

千葉から大宮まで、自動車で移動。
電車に乗るのが面倒だな、と思ってしまうあたり、おじさんになったなあ、と感じる。あるいは、地方都市在住が染み付いてしまったというべきかも知れない。
首都高デビューの奥さんの運転で、ちょっぴり危なっかしく埼玉に辿り着く。

「何だか埼玉って、平坦でぺったりしてるね」
と第一印象を口にすると、すかさず、日本一平坦な千葉県民がそれを言うかと突っ込まれる。

博物館の前に、お昼が来たので、そのあたりで見つけた回転寿司屋に入る。

「埼玉みたいな海がないところで寿司ってどうなの?」
奥さんが言う。

「埼玉って海がないんだ。へえ。そんな県もあるんだ。」
娘が言う。

千葉県民は総じて埼玉に失礼なのである。

ちなみに寿司はネタが新鮮でやたら美味しかった。きっと、最近は埼玉にも海ができたんだろう。


鉄道博物館は、大きくて、綺麗で、整ってて、ピカピカしてたんだけど、何だか思ってた感じと違うなあ、というのが僕の偽らざる感想。
カビが生えてそうな模型から漂ってくる、よくわからない迫力とか愛おしさとか。そういうのが欲しい。
結局僕は、交通博物館の、古ぼけてて、垢抜けなくて、時代錯誤なところが好きだっただけなんだろう。
鉄道博物館には、埃をかぶったような模型も、レトロ過ぎる食堂もなかった。とても清潔で、分かりやすくて、親切だった。

思えば、秋葉原の風景も、当時と比べると随分変わった。当時あたりから、胡散臭いパーツ屋もホビー屋も少なくなった。今では電化製品の店すらなくなりつつある。

こうやって時代は過ぎ行くんだなあ、なんて思った秋の始まりなのでした。


小蝿と闘う

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 ちょっと油断した隙に、台所に小蝿を集らせてしまった。普通の蝿の10分の1くらいのサイズのやつ。
 食べ物を扱ってるところに蝿が飛んでるというのは何だか不潔だし、だいいち目の前をチラチラ飛ばれるのは鬱陶しい。
 
 そんな折、薬局に行った時にふと、小蝿取りの罠が目に止まったので、これだと思って買ってみた。
 ポット状の容器に、ジェル状の餌が入ってて、おびき寄せるやつ。たぶん餌がネバネバしてて、そこに止まったが最後、動けなくなるって寸法だろう。
 僕は、あの忌まわしい小蝿共を一掃してくれようと、ほくそ笑みながら帰ったものである。
 
 帰宅して早速、箱を開けてポットを取り出す。封を開けた瞬間、何とも言いようのない臭いが漂ってきた。
 
 蜂蜜を何倍にも何倍にも煮詰めて濃縮したような臭い。熟した果物が木から落ちて、土の上でぐずぐずと腐りかけてるような臭い。甘いことには間違いないけど、爽やかさとは程遠い、度を超えた甘さ。過熟の臭いであり、腐敗の臭いである。
 
 ハッキリ言って、人間には不快な臭いである。
 
 「こんなもの置いてたら蝿が集るじゃないか!」
 
 僕は憤りを覚えたが、集って良いのだ。
 
 さて、僕はその異臭を発する物体を台所の隅に置き、小蝿どもを罠にかけ殲滅してくれんと、悪魔のような心持ちで一晩過ごした。
 きっと、一晩待つだけでポットの中にはおびただしい小蝿の山が出来てることであろう。ふふふ、と、期待で胸を膨らませた。
 
 しかしだ。
 一晩待とうが二晩待とうが、一向に小蝿はポットに入ってくれぬ。ポットは依然腐ったフルーツのような臭いを発してるのに、蝿はポットに入ってくれない。
 
 これでは、嗅ぎ損ではないか。
 僕は再び、怒りに身を投じた。
 
 だがその翌朝、ついに絶命した小蝿を見つけたのである。
 
 蝿取りポットの中にではなく、その横に置いていた、子供らの歯列矯正器具の洗浄槽の中に。
 
 仕事をしたのは、強烈な臭いを放つ蝿取り罠ではなく、無臭の洗浄液だった。
 
 「まあ……大騒ぎして引っ掻き回すけど、結局何もしない奴っているよな……。」
 
 僕はそう思いながら、生暖かい目で蝿取りポットを眺めるのだった。
 

 

部分入れ歯用 ポリデント 108錠

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