シン・エヴァはエヴァを終わらせることができたのか
シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきたので、取り急ぎの感想をネタバレありで書きます。
結論から言えば、シン・エヴァンゲリオン劇場版は、これまでの作品で投げ出されたままだったありとあらゆる物語の断片に結末をつけるような映画だった。
ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」で、バスチアンがファンタージエンでの冒険の中、語り切れない物語の断片ををいくつも作ってしまい(「これは別の物語、いつかまた、別のときに話すとしよう」)、最後に現実世界に戻るときにちゃんと終わらせてから帰れって怒られる話があったでしょう?あったんだよ。
シン・エヴァは、そういった「語り切らなかった物語」を、思いつく限りすべて語ってしまったような映画だった。
「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」というコピーに間違いはなかった。今度こそ、エヴァンゲリオンは終わることができたのだ。
例えば、冒頭の華々しい戦闘シーンからのオープニングタイトルが開けて、真っ赤に染まった世界を放浪するシンジたちは、ニアサードインパクトで生き残った人々が生活する避難地域のような場所にたどり着く。
そこで再会するのが、大人になった鈴原トウジ、相田ケンスケ、桐木ヒカリの同級生たちだ。
旧作では、シンジはトウジやケンスケとの喧嘩を経てつるむようになり、一時期は友達に囲まれたシンジが朗らかな姿を見せることもあったものの、使徒に寄生されたエヴァのエントリープラグを暴走したエヴァがパイロットのトウジごと破壊するというショッキングなシーンがあり、その後、いつの間にか同級生たちは物語からフェイドアウトしていた。
そこでは、シンジが意図せずトウジを傷つけたことの「落とし前」をどうつけたのか、3人はまた仲良しに戻れたのか、そういったことはぜんぶ有耶無耶になったまま同級生たちはひっそりと物語から消えてしまった。
新劇場版では、使徒に寄生されたエヴァに搭乗したのはアスカだったし、「Q」ではトウジやケンスケの出番は全くなかったもんだから、破からQに至る唐突な作中時間の経過に置いて行かれた形でこのままフェイドアウトかと思っていた。
そのトウジとケンスケが、成長した大人として再登場したのだ。
しかも、旧作でお互いに惹かれている様子があったトウジとヒカリは結婚して子供もできている。ケンスケはビデオカメラを武器に活躍してる。大人になった同級生たちは、子供のまま時間が止まったシンジを迎え入れ、変わらない友情をもって接してくれる。旧作以来描かれなかった同級生との物語に、ちゃんと続きと結末が描かれたのだ。
ついでに、旧作で同級生たちと一緒にフェイドアウトしたペンペンも、近くの湖で繁殖しているという念の入れようだ。
恋人関係にあったミサトと加地の物語にも結末が与えられた。
こちらは、加地はニアサードインパクトで皆を助けるために亡くなり、その時、ミサトのお腹の中にいた子供が大きくなっている、ミサトは自分の子よりも人類を守ることを選び、母親であることを告げられないというほろ苦い結末だ。
ミサトといえば、「破」のラストでさんざんシンジを煽ったくせに、時間が経過した「Q」でやたら冷たい態度を取っていたあれは何だったのかというのも解決した。
ミサトは我々が思っていた以上に大人だったし、保護者をやってたのだ。
シンジとゲンドウは、拳(エヴァ)と拳(エヴァ)で語り合い、お茶の間のテーブルを(文字通りの意味で)ひっくり返した後、対話をして、和解に至る。エヴァの物語が始まる前の、ゲンドウとユイの物語の結末というおまけもつけたうえでだ。
冬月の物語、アスカの物語、レイの物語も、それぞれに結末が語られた。終始謎めいたキャラクターだったカヲルくんの物語にも結末がついたのには驚いた。
極めつけはテレビシリーズのタイトル「新世紀エヴァンゲリオン」の「新世紀」の部分の意味が語られたことだ。
そんなの、当時のロボットアニメのタイトルのフォーマットであった「漢字+カタカナ」(「絶対無敵ライジンオー」や「勇者特急マイトガイン」など)に倣っただけでしょう、と思っていたのに、最後の最後で明確な意味が与えられたのだ。
そんなところまで回収されると病的ですらある。
劇中でシンジが「自分のことは自分で落とし前を付ける」と決意するが、どう考えても庵野監督のモノローグそのものだ。
「果てしない物語」ではバスチアンが作り、結末が語られなかった様々な物語は、友情の下、アトレーユがバスチアンから引き取った。
これに対して、庵野監督は自分で結末をつけた。庵野監督は本当にえらかった。
すべての物語に決着をつけたシンジは、これまで登場したすべてのエヴァンゲリオンを(1体を除き)破壊し、「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」というコピーの意味を回収する。
シンジに破壊されなかった最後のエヴァに搭乗していたのが、旧作に登場しなかったキャラクターのマリである。
25年間決着がつかなかったエヴァンゲリオンの最後のシーンは、一新された世界で、大人になったシンジがマリと一緒に駆け出すシーンだった。
旧作に登場しないマリの役割は、我々をエヴァンゲリオンという物語から解き放ち、新しい物語に飛び込ませることにあったのだと思う。
そう、エヴァンゲリオンという物語の呪いは、長い長い旅の末にやっと解けたんだね。
庵野監督に、ありがとう。
エヴァンゲリオンに、さようなら。
そして旧作のラストで2回も悶え苦しんだおれたちに、おめでとう。