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鼻猫亭

毎日のこととかぼんやり考えたことなど

立ち食い蕎麦について

だらだら考える

 立ち食い蕎麦というのは、蕎麦とは異なる独立したジャンルの食べ物だと思ってます。

 ちなみに、最近は姫路駅の麺のつなぎにかんすいを使った「えきそば」が、いつの間にかB級グルメ界に侮りがたい勢力として存在感を増しつつあり、来年のB−1グランプリでの天下を虎視眈眈と狙っているようですが、ここで言いたいのは、比較的どこにでもあるごくごく普通の立ち食い蕎麦の話。ゴメンね。

 私はここ数年、立ち食い蕎麦を偏愛しており、毎晩立ち食い蕎麦でも構わない、むしろ3食立ち食い蕎麦でも構わない、駅下のガードに根を張りそして立ち食い蕎麦と共に生きようと決意を固めつつあるのですが(はい、嘘です)、残念なことに、普段利用する駅に立ち食い蕎麦がありません。

 ここまで立ち食い蕎麦を愛しているのに、電鉄会社が俺の最寄り駅に立ち食い蕎麦屋を配置しないのは怪しからぬ、東日本立ち食い党としては立ち上がらねばならぬ。ゆであがれ蕎麦。というわけで、立ち食い蕎麦ユーザーの裾野を少しでも広げようと立ち食い蕎麦初心者の皆様に立ち食い蕎麦のイロハをお伝えしようとする次第。このエントリーをうっかり読んじゃった皆さんも、明日の夜は、是非、立ち食い蕎麦にチャレンジして下さいね。

 まずは立ち食い蕎麦を発見できそうな場所から。

 立ち食い蕎麦の圧倒的多数は、駅構内または駅周辺に立地しています。従って、どこかの駅を下りてぶらり途中下車の旅に出たら、たちまち「おやおや、あそこに何か見つけたようですよ。あらあら、いい匂い!何でしょうね?」(CV:滝口順平)ということになるわけです。駅周辺を10分彷徨っても立ち食いそば屋を発見できなかったら、諦めて牛丼でも食ってやがれコンチクショウ!

 首尾よく立ち食い蕎麦を発見出来たらまずは券売機を探しましょう。もし、券売機が見つからなかったらそれは普通の蕎麦屋です。諦めてカレー南蛮でも食って白いワイシャツに黄色いしみでもつけてやがれコンチクショウ!

 なお、券売機を探す前に、店頭におかれたメニュー表なんかを覗きこんで、「ほほう、コロッケ蕎麦。コロッケと蕎麦。この組み合わせは意外だ。」などとやる必要はありません。そういうのは孤独のグルメ井之頭五郎さんに任せておけば宜しい。なぜなら、立ち食い蕎麦屋で注文すべきはただの一品、そう、天ぷら蕎麦しかありません。

 ここで、立ち食い蕎麦界における「天ぷら蕎麦」は、手打ち蕎麦界における天ぷら蕎麦と定義が異なることを説明せねばなりません。

 手打ち蕎麦界の天ぷらが概ね海老天を指すのに対して、立ち食い蕎麦界における天ぷらは玉ねぎが主体のかき揚げを指します。

 実はここがもっとも重要なところです(試験に出ます)。もし、立ち食い蕎麦屋に入って天ぷら蕎麦を注文したにも関わらず、蕎麦の上に海老天が二本出てきた場合は、怒って構いません。抗議の意味を込めて、海老天の衣だけを食べ、海老を2本、蕎麦の上に突き刺して帰ってもかまいません。(その場合もお会計はお忘れなく!)。

 さて、天ぷら麦の食券を買い求め、カウンターの上に無言で差し出したあなたは驚くべき速度で蕎麦が提供されることに驚きを禁じえないでしょう。

 もし、食券を差し出してから2分以上待たされた場合、誠に残念ながら、その店は既に茹であがった麺を温めて出してる店ではなく、生蕎麦から茹でている店に違いありません。潔くお諦めなさい。立ち食い蕎麦界においては、既に茹であがってる麺(英語で言うとReady-boiled noodle)こそ至高であって、生蕎麦から茹でるなど言語道断です。そのときは涙を忍んですするがよい。

 ここまで来て、いよいよあなたの目の前に蕎麦が出されて来ました。

 些か醤油の自己主張が強すぎるのではないかと思える黒い汁、その中に浮かび沈む灰茶色の蕎麦、黄金に輝くかき揚げ天、そしてほのかに緑がかったネギの白の配色の絶妙さを一通り堪能する前に、まずは、箸でかき揚げ天を汁の中に2,3回押し込むことをお勧めします。この作業を行うか行わないかで、次の展開が全く異なってきます。

 かき揚げを箸で押し込む儀式を終え、蕎麦を鑑賞し終わったらやおら蕎麦つゆを一口すすりましょう。

 意外なほど強く存在感をアピールしている鰹節の香りが鼻腔をくすぐるのを是非感じて下さい。「たかが400円もしない蕎麦のつゆが、こんなに薫るはずがない。」その新鮮な驚きに打ちのめされることでしょう。というか、私も常日頃そんなに薫るはずはなかろう、「蕎麦つゆの味と化学調味料のそれとが同じだった…」と感じないわけでもないのですが、それはわたしとあなただけの秘密です。

 この時点で、蕎麦が出されてからおそらく1分以上は経過しているのではないかと思われます。

 そこで、やおら蕎麦をすすってみます。ここで「既に茹でられた麺」の意味に気付くことでしょう。そう、「既に茹でられた麺」は、生蕎麦から茹でられた麺よりもはるかに蕎麦つゆを吸いやすいのです。

 生蕎麦を茹でた場合、蕎麦とつゆとの間には一種の対立関係が生まれます。薫りの強い蕎麦はその表面においてつゆをはじき、そしてつゆは蕎麦を否定する、そんな分かりあえない世界。

 しかし、既に茹でられた蕎麦は違う。その柔らかな表面は蕎麦つゆをはじくことなく優しく受け止め、吸収し、そして一体化します。控えめな蕎麦の香りと、意外なほど薫る蕎麦つゆとが、溶け合い、混じり合いつつも、お互いの役目を引き立て恍惚の世界に誘います。

 そして、既に茹でられた麺の醸し出す恍惚に身をゆだねつつ、再度蕎麦つゆをすすると、最初に口にした時からその風味が変容しているのに気付くはずです。そう、かき揚げ天からにじみ出た野菜のうまみを閉じ込めた脂が、甘美な毒のように蕎麦つゆに少しづつ少しづつ溶け込み、少しづつ少しづつ蕎麦つゆの味を変えてゆくのです。

 その幾重にも色を変えてゆく蕎麦つゆと、その蕎麦つゆを余すところなく吸いこんだ蕎麦の香りに翻弄され、気がつけば狂気に駆られたがごとくつゆまで飲み干ししているに違いありません。

 と、思わず一気呵成に書いてしまうように、立ち食い蕎麦には人を惑わせる何かがあることには間違いありません。惑わされない人はまあ、適当にスルーするように。

 最後に、立ち食い蕎麦を美味しく食べるためのスパイスを二つ。七味唐辛子でも刻み長ねぎでもなく、それは、「残業あけの空腹」と「程よい寒風」です。この二つがあれば、立ち食い蕎麦は世界で一番旨い食べ物だと言っても過言はありません。

 まあ、「残業あけの空腹」さえあれば大概のものは世界で一番旨い食べ物になる気もしますが、まあ、細かいことは気にすんな!俺は蕎麦が好きなんだ。