鼻猫亭

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娘に知性で敗北したときのこと

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 先日、家に帰ったら中学生の娘がテレビを見てて、ちょうどニュースZEROが始まるところで、谷生俊美さんが出演されていた。

 後から調べて知ったのだけど、谷生さんは日本テレビのプロデューサーで、トランスジェンダーであることを告白されている方らしいのだけど、その時は私も娘もそんなことは知らなかった。ただ、「何となく大柄で男性的な風貌だな」という印象の人だった。

 

 娘が「この人、あれかな…」というので、私は何気なく「ゲイってこと?」と返した。

 娘は、私の言葉を遮るように「『トランスジェンダー』」と言い、ちょっと怒ったような顔をして私にこう言ったのだ。

 

 「父ちゃん。いま父ちゃんはゲイとトランスジェンダーをごっちゃにして話してたけど、ゲイとトランスジェンダーは全然違う。男が女のこころを持って女を好きになることもあるし、男が男のこころを持ったまま男を好きになることもある。」

 

 娘は完全に正しかった。

 

 いちおう、私も「ゲイ」と「トランスジェンダー」が違うということは理解しているつもりだった。混同はしてないつもりだった。

 ただ、普段から「LGBT」という枠の中でふんわりとイメージしていたというのも事実だ。だから咄嗟に「ゲイ」という言葉が出てしまったのだ。

 でもこれは、同じ球技だからといって「野球」と「サッカー」を間違えてしまうようなものである。本田圭祐について「ああ、野球の人ね」というようなものだろう。

 

 私は自分の発言を恥じ入ると同時に、とても感心した。そして恐ろしくも頼もしいと思った。

 

 私が子供の頃は、LGBTは社会の中で異端そのものだった。「ホモ」や「オカマ」が面白おかしく嘲笑的に扱われていた時代だ。そこから学習して考えを改めて来たのが我々世代である。

 

 今の子供たちはLGBTを学校で習う。そのため(その子の学習環境などにもよるだろうが)LGBTは自然なことだという意識が最初からあるのだと思う。

 少なくとも娘は、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの区別が明確についており、そして、「LGB」と「T」が複合的に存在し得ることを理解している。それも、それらは「自然なこと」だという認識でいる。

 

 LGBTに対して「差別してはならない」なんて意識自体が、とっくの昔に古いのだ。

 

 こうして、新しかった考え方はどんどん当たり前のことになってゆくのだろう。

 きっと、旧世代の人間は油断しているとすぐに取り残されてしまう。それはとても恐ろしいことだし、とても頼もしいことだ。

 

 この件に関しては、私は娘に知性で敗北した。新しい世代には、新しい価値観で世界を塗り替えていって欲しい。