朝食バイキングでカレーを食べる話
出張で泊まるビジネスホテルの朝食バイキングはすこし興奮する。
なんせ朝からいきなり食べ放題である。
起きてすぐの時間は胃腸も活発に動いていない。朝食は軽めにとる人は多いだろうし、おなかにあまり負担のかからないものを食べるように気を遣ってる人も多いだろう。それなのにビジネスホテルは、朝から「好きなだけ食べていいよ」と言ってくるのだ。
だいたい、一泊するくらいだから朝食の後には大事な仕事が控えている。「今日一日が勝負」という場合もある。腹いっぱいになってる場合ではない。それなのに「好きなだけ食べていいよ」と言ってくるのだ。利用者に「仕事を取るか、満腹を取るか」の苦渋の選択を迫るのである。
結局、こちらとしては「満腹になることを極力避けつつ」「可能な限り満足する形で」食事をとるという二律背反に晒されることになる。朝からとんだチキンレースを迫るのがビジネスホテルの朝食バイキングなのだ。
私は今まで、出張先のビジネスホテルの朝食がバイキング方式であったとしても、内心の喜びをおし隠し、努めて冷静に、決して羽目を外すことなく、できるだけ控えめに、ご飯とみそ汁と、数品のおかずを取って終わらせるようにしていた。
たまにその地方の名物なんかが並んでおり「あ、これ美味しいな。もうちょっと欲しいな。」と思っても、おかわりを取りに行くのは恥だと自分に言い聞かせて耐えていた。
なにせ周囲は意識高きビジネスパーソンの猛者どもである。
ひとたびおかわりを取りに行こうものなら「自己管理が出来ていない軟弱者」などと烙印を押され、二度とそのホテルの敷居をまたぐに能わない落伍者と見做されても仕方がない。ビジネスの世界は厳しいのだ。
そんなわけなので、私は今まで、朝食バイキングのカレーに手を出したことはなかった。
朝食バイキングにはなぜか高確率でカレーがある。わざわざ「当ホテルの名物」と書いてあったりすることもある。
しかし、「朝からカレー」はいくらなんでもはしゃぎ過ぎだ。また、うっかり食べこぼした場合、その日の仕事を台無しにしかねない。なにせこちらは意識髙いビジネスパーソンである。食事中も一分一秒を惜しまず情報収集をしたり、Twitterで「いま起きた」などの情報発信をしたり、スマホゲームの行動力を消化したりしているのだ。食べこぼしリスクは家族で食事を取っている場合と比べて段違いに高い。
しかし、今回の出張はいつもと少し違った。同じホテルに合計4泊もしたのである。
1泊目と2泊目の朝はまずまず普通に食事をしたのだが、3泊目あたりで「だいたい朝ごはんのパターン見えたな」と思うようになった。実際、3日目で気付いたのだが、このホテルは1日おきに同じメニューを出してるようだ。
「すこし変化が欲しい。」
そう考えた3日目の私は、禁断のカレーを何気なくそっと1杯、深皿に注いでトレイに置いた。
「朝から、それも社運を賭けた仕事の日の朝食にカレーを取ってしまった。」
その背徳感は、私を少しワクワクさせた。
深皿からスプーンでお茶碗に少しカレーソースを移し、口に入れる。オーソドックスな日本式カレーだ。ブラウンソースをベースにしつつスパイスの香りが鼻孔をくすぐる。うまい。何も遠慮をすることはなかったのだ。
ふと、皿を見ると、そこにスクランブルエッグがあった。
「ひょっとすると、これを乗せると良いのでは」
思いついた私は、おそるおそるそれを実行に移した。
おそるべき「お得感」を覚えた。
カレー屋でトッピングを頼むと、ふつうは追加料金が発生する。しかし、ここは朝食バイキングだ。何を取るのも自由なのだ。追加料金なしでトッピングが出来るのだ。いくらでも。
スクランブルエッグを乗せたカレーを食べ終えた私には、既に意識髙いビジネスマン精神はほとんど残っていなかったが、それでも何とかその場は誘惑に耐え、最終日の4日目に備えることにした。
朝食バイキングには半熟卵があった。
ソーセージもあった。
ベーコンもあった。
ほうれん草のソテーもあった。
何だったら納豆もある。
いままさに、それら朝食会場に並んだ大量のおかずが全てカレーのトッピングとして立ち上がってきているのだ。
出張最終日の朝、私は、ワクワク感を胸に朝食会場に足を運んだ。
1日おきに代わるメニューが並んでいる。
朝食会場の配置は熟知している。迷わず私はカレーのあったコーナーに向かい、深皿にそっと一杯、ソースを注ぎ、料理名の書かれたプレートを目にした。
――――そこには「特製ハヤシソース」と書かれてあった。