傘を差すこと
傘が嫌いなので多少の雨では傘を差さない。
カバンの中には一応、折りたたみ傘が常備されているが、あまり使わない。
折りたたみ傘を使うのは、ほとんどの場合が、目的地に着いたときに衣服が濡れていると具合が悪い場合、もしくは同行者がいる場合だ。
どちらの場合も、「雨が降ってるのに傘を差さないって何なのこの人」と思われないために傘を差すようなものだ。つまり、雨に濡れないためではなく、社会的立場を守るために傘を差していると言っても過言ではない。
なぜそんなに傘が嫌いかというと、傘を差すと傘が濡れるからにほかならない。
そんなこと当り前だろう。お前は何を言ってるのだ。と言いそうになった人は、まず聞いて欲しい。
あなたの前に傘が2本あるとする。同じ傘だが、一方は濡れており、もう一方は濡れていない。どちらかを選べと言われたら、どちらを選ぶだろうか。
ほとんどの人は、濡れていない傘のほうを選ぶだろう。つまりはそういうことだ。本当はみんな傘を差したくないのだ。
中にはもしかしたら「自分は濡れている傘が好きだ。濡れている傘には何とも言えないエロスがある。」という向きもあるかもしれない。そういう人は思う存分傘を差して、思う存分傘を濡らし、思う存分背徳的な快楽に酔いしれればよい。
濡れた傘は煩わしい。これは間違いのないことだ。濡れた傘は油断していると私の衣服を濡らしてくる。乾いた傘が私の衣服を濡らすことはない。
そもそも、雨に濡れるということは、傘を差してまで回避しなければならないほど大変なことだろうか。
考えて欲しい。濡れた衣服はいつか必ず乾く。結局、放っておけば乾くような雨を、傘などといったものを使ってわざわざ避ける理由はないはずだ。
以上、私は傘が嫌いだし、これからもあまり傘を差さないだろうが許して貰いたい。
雨の中をしっかり濡れながらぼんやり歩いてる人を見ても、ふうん、と思ってくれると大変助かる。