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鼻猫亭

毎日のこととかぼんやり考えたことなど

通勤電車で弁当を食べる若者の話

毎日のこと
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 通勤電車の中で食事を取るのはマナー上あまり宜しくない。

 

 ローカル線の進行方向に垂直に置かれた座席だと、パーソナルなスペースがある程度区切られているのであまり気にならない。だけど、通勤電車の横並びのロングシートだと、お互いの距離が近い上に仕切られていないので、どうしても気になってしまう。

 人前でものを食べるのがお行儀悪いとか、その手の小煩いことはあまり言いたくないのだけど、なにぶん、お互いの距離が近いせいで電車が揺れるたびにこぼれて飛沫がかからないかとか、現実的な心配がある。

 先日、混雑した通勤電車の中で、タルタルソースがたっぷり挟まったパンを立ったまま食べてる人を見かけた時には、さすがに止めようかと思った。ふらついた拍子にあらぬ方向にパンが飛んでいったら、確実にトラブルになるもの。

 

 さて、その日は仕事が遅くなり、夜の11時ちょっと前に電車に揺られていた。乗客はそれほど多くなくてまばらな感じ。そこに、大学生くらいの若者がコンビニのレジ袋を手に乗り込んできた。

 

 寒い日だったせいで、レジ袋からはほんのり湯気が出てるのが見える。その時点で既にドミグラスソースの匂いが漂っている。

 おそらく、乗客の大半が「おいおい、ここで食べるのかよ。」と思いながら見ている。もちろん、私も思ってる。

 

 若者は、そんな乗客の視線を知ってか知らずか、空いていたロングシートの座席に座り、レジ袋の中からほかほか温まったコンビニのハンバーグ弁当を取り出し、膝に置いた。

 若者は膝の上でシュリンクラップを破り取り、プラスチック容器の蓋をあける。ドミグラスソースの匂いがふわんと一瞬で強くなった。

 

 「やっぱりここで食べるのか」

 「ここで食べるんだな」

 「行儀の悪いやつめ」

 

 匂いが立ち込めると同時に、乗客の視線は厳しくなる。

 

 そのとき。

 若者は、膝の上でホカホカ湯気を立ててるハンバーグの前で、両手の親指と人差し指の間に箸を挟み、やおら手を合わせ、軽く目をつぶり、少し頭を下げて、小さな声で「いただきます。」と言った。

 きっと、どんな食事でも、たとえ周りに誰ひとりいなくても、彼はものを食べる前には必ず、何かに向かって「いただきます」と言ってるのだろう。それはとても自然で嫌味のない動作だった。

 

 「なんだ。良いやつじゃないか」

 「腹が減ってたんだな」

 「慌てずに食べろよ」

 

 どういうわけだか一瞬にして和やかになった乗客の視線の中、若者は終電近い電車の中で、黙々とハンバーグ弁当を食べるのでした。