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鼻猫亭

毎日のこととかぼんやり考えたことなど

沙悟浄は河童で良かったんじゃないかというはなし

 西遊記沙悟浄は、日本では河童のイメージが強いんだけど、原作では河童ではないらしい。

 本来の沙悟浄は「水の妖怪」であるものの、河童ではない。背中に甲羅を背負ってるわけじゃないし、口元がくちばしになってないし、頭にお皿が乗ってるわけでもない。
 中国の人が描いた沙悟浄のイラストを見ると、髭面で坊主頭をした色の浅黒い男性がイメージされているようだ。そしてどういうわけか、だいたいムキムキマッチョである。あまり妖怪然とはしておらず、人間のおじさんにしか見えない。明らかに猿や豚がイメージされている孫悟空猪八戒とは対照的である。このあたり、気になる人はググってみてください。

 そんなわけなので、中国の人が日本の沙悟浄を見ると、強烈な違和感を感じるらしい。
 そりゃそうだ、マッチョ和尚だったはずの沙悟浄が、見たこともない変な生き物になってるんだもの。おまえ誰やねん、と言いたくなるはずだ。
 考えてみれば、日本の妖怪が、中国の歴史的な小説に登場する時点で何かがおかしいと気付くべきであった。河童は日本オリジナルの妖怪である。中国にはいない。たぶん。

 しかし、ふと振り返って考えると、最初に日本で西遊記を訳した人が、沙悟浄を河童としたのは、ある意味で正解なんじゃないかと思えてくる。

 三蔵法師の旅の仲間と言えば、孫悟空猪八戒沙悟浄と、馬である。

 孫悟空は、猿だ。花果山のボス猿だった過去があるので、間違いなく猿である。孫悟空はイタズラ者で、暴れん坊で、そして物語一番のヒーローだ。孫悟空のいない西遊記は、きっとただの坊主の旅行記である。

 猪八戒は、豚だ。もともと天界人だったのが、転生したときに間違えて雌豚の胎内に入ってしまったので豚になった過去を持つので、れっきとした豚である。猪八戒は、いつも煩悩と戦っている憎めない役どころで、トラブルメイカーであり、道化である。きっと、芸人的に言えばおいしいところを持っていくキャラだ。

 馬は、馬だ。馬である。本当は龍の化身なんだけど、今は馬をやってるので間違いなく馬だ。乗り物的な性格で、作中でも乗り物の役割を持っている。だいたいいつも三蔵法師に乗られてる。

 これらケダモノ連中のなかで、沙悟浄だけが人間の姿をしている。孫悟空猪八戒という強烈なキャラクター(馬はどうでもいいや)に対して、沙悟浄はそのキャラ造形において、若干、弱いのではないんじゃないかという気がする。

 だいいち、沙悟浄は物静かで真面目な性格とされていて、いまいち目立たない。「猿」「豚」と続くのが「物静かなおじさん」というのでは、彼のキャラ立ちに些かの不安を覚えざるを得ない(馬はどうでもいいや)。

 日本の桃太郎だって、旅の仲間を「犬」「猿」「雉」とケダモノ連中で揃えてきてる。桃太郎の仲間が、「犬」「猿」「たかし」だったりしたら、きっと、すこし首を傾げたくなるはずだ。

 そんなわけなので、日本の西遊記が、三蔵法師の旅の仲間を「猿」「豚」に加えて、「河童」としたのはなかなかの発明ではなかっただろうか、という気がする。「河童」は、少なくともビジュアル面で「猿」「豚」に見劣りしない(馬はどうでもいいや)。むしろ「河童」の絵面が与えるインパクトは、「猿」や「豚」を凌駕する(馬はどうでもいいや)。

 ただ、中国の人が河童の沙悟浄を見て違和感を覚えるのは至極当然な話だ。
 ぼくだって、もし、「中国では、桃太郎の仲間は『犬』と『猿』と、『大きな耳を使って蝶のように羽ばたく人間の顔をしたチョンチョンという生き物』とされています。中国には雉なんて鳥はいませんから。」なんて言われたら、間違いなくツッコミを入れます。全力で。