鼻猫亭

毎日のこととかぼんやり考えたことなど

育児男子などについて

 先日、某県知事が育児休暇を取得したとかで、「イクメン知事」と報道されているのを目にしました。

 すかさず某府知事に「一般人は休もうと思っても休めないんじゃボケ!(※はなねこのガラの悪い耳にはこう聞こえました)」なんて噛みつかれてましたが、最近、育児に積極的な男性を「育児男子」や「イクメン」など呼ぶのを時折目にします。例えば、県知事のように積極的に育児休暇を取得したり、寝かしつけや子供と二人だけの時間を積極的に持つような人たちがそれにあたるらしいですね。


 男性の育児休暇の取得の問題についてはさておくとして、私はこの「育児男子」「イクメン」という言葉がどうも気持ち悪くて仕方ありません。
 いったい、それのどこが気持ち悪いかをぼんやりと考えてみると、だいたい、

  (1)ジェンダー解放を謳ってるようで思いっきりジェンダー差別的な発想が根底にある
  (2)どちらかといえば子供視点ではなく、パートナーの都合を考えた言葉である
  (3)そろそろ何でもかんでも「男子」とかいうのやめようよ


といったところなのかなあ、と思うのです。今回はこの思いつきをもう少し掘り下げてみます。


(1) ジェンダー解放を謳ってるようで思いっきりジェンダー差別的な発想が根底にある。

 まず第一に、育児に積極的な男性を「育児男子」と定義づけることは、かなりジェンダー差別的な発想があるんじゃないかと思います。

 一見すると、育児に積極的な男性を「育児男子」と持ち上げることは、「育児は女性がするもの」というジェンダー差別の解消に貢献するようにも見えます。おそらく、「育児男児」「イクメン」という言葉が使われる文脈には、そういう意味合いも含まれているんじゃないだろうか。

 しかし、父親である以上、(その関わり合い方は様々であっても)育児に携わるのは当然だし、たとえ嫌でも子供がいる限りは普通(つまり、それを完全に放棄してしまわない限りは)、避けては通れないはずです。
 そもそも、古来から育児は(両親が揃っている家庭の場合に限りますし、社会によって例外はあるでしょうが)、両親が共同で行うもの、というのが社会の共通認識だと思います。

 これに対して、「育児男子」「イクメン」という言葉は、「育児をする男性は特別である」という価値観を無意識のうちに含んでおり、「育児は女性がする」というジェンダー差別を自ら創造しているように思います。

 ここからは若干余談気味ですが、そもそも「育児は女性がするもの」というジェンダー差別は実際どれだけ存在するのしょうか。

 確かに、近代の日本の家庭においては「男性が働き、女性が家事をする」という役割分担がなされることが主流でした。(この役割分担を当然の前提と決めつけて、女性を労働市場から隔離したり、男性を家事から遠ざけたりするのは、明らかにジェンダー差別ですね。)
 そのため、母親の方が子供と接する時間が長く、女性が育児の中心となってきたという歴史はあったと思います。

 しかし、その場合でも、ほとんどの父親が育児に無関心であったわけでなく、自分の子供に対して愛情と責任感を感じて接していたと思うのです。
 例えば、子供の相談を聞いてやる、子供に物事を教えてやる、遊びに連れてゆく、時には子供に玩具や本を買い与えるといったことは普通にやっていたし、それも育児における立派な役割なんじゃないかなあ。何も、寝かしつけをしたりするだけが育児じゃないと思うのです。まあ、これについては、私の知見が狭いだけなのかもしれませんが。


(2) どちらかといえば子供視点ではなく、パートナーの都合を考えた言葉である

 気持ちの悪さの2つめは、「育児男子」「イクメン」という言葉に、子供からの視点がいまひとつ欠けているということ。

 育児にとって、もっとも大切なのは、何といっても「それが子供の幸福や成長にとってプラスの影響を及ぼすのか否か」という視点のはずです。
 これに対して、女性側がパートナーを、「育児の出来るカッコいい男性」ともてはやすのは、子供の幸福という視点を外れた、パートナーからの視点でしかないような気がするのです。

 子供にとってのプラスを考えると、「パートナーの一人が主に食い扶持を稼いできて、その間の面倒をもう一人がみる」という役割分担(おそらくは今では古くさく思われるであろう役割分担のあり方)は一つのあり方だと思います。
 あるいは、パートナーの両方がお金を稼ぎ、パートナーの両方が平等に子供と関わっている役割分担の方法だってあり得るし、もちろん、パートナーがいない中で様々に折り合いをつけて子供を幸福に育てているご家庭だって沢山います。

 一般的にいえば「父親が寝かし付けなどを積極的にやる」ことはきっと子供の幸福につながることが多いのでしょうが、「子供に対してどのように幸福や成長の機会を提供してあげるか」というのは、それだけで解決できるような単純な話ではないはずです。子供を幸福に育てるためには、その家庭の経済事情、親の可処分時間、周囲の環境、その他の要素を考慮して、個々の家庭においてその場合場合の図面を描いて知恵を絞って考えることが必要だと思うのです。

 これに対して「育児男子」「イクメン」という言葉は、家族を全体としてとらえた時の役割分担のあり方をすっとばして、ただただ、子供に構う父親を(主にパートナーの負担が減るという観点から)ほめそやすだけの言葉のように聞こえてなりません。いまひとつ、子供の幸福という視点が見えてこないように思うのです。


(3) そろそろ何でもかんでも「男子」とかいうのやめようよ

 気持ち悪さの3つめは、もう何でもかんでも「男子」とか「メン」とかいうのやめようよ、ってこと。
 さらに、Twitterフォロワーさんに指摘されてハッと思ったのですが、どうやら、キャッチーな言葉の発信者の目線の先には、広大な「育児男子市場」の沃野が広がってるのが目に映ってる模様。


 結局のところ、育児男子とかイクメンとかいう言葉は、

 「育児やジェンダーという多くの人が大切なだと考える問題に対して、耳触りの良い提案をしていることを装った、マーケティングのためのコピーだ」

 というのが気持ち悪さの源なんでしょうね。やれやれ。



 ちなみに言うと、私は男性がより積極的に育児に関わったり、社会の風潮が男性の育児休暇を取りやすい方向に傾くことは、社会にとって非常に良いことだと思っています。一方で、まだまだ世の中の男性がそうそう簡単に育児休暇を取れないという社会の実情も良く知ってるつもり(私だってとれるものですか!)。

 だからこそ、育児男子やイクメンといった「一見耳触りのよい何にも考えていない言葉」にはちょっぴりイラっとするんだろうなー。